いろいろなカベ(Transcending Boundaries)

個人を起点に考えざるを得ない現代。社会に生まれ落ち生きてかなきゃなんないのは中々つらい。いろんなカベの造りや超え方が分かれば、なんだか楽しくなりませんか?

自然の常態

「自然の常態は競争である」

これを見て物凄い嫌な気分が湧いてきた。

色々と考えたのだけど、「自然」という言葉からして人間の願望が含まれているな、と感じる。

さらに「常態」とくれば、ノーマルですよ。ノーマル。滅茶苦茶注意が必要な言葉ですよね。

人間にとっての最大の課題は「あるがまま」をどうすれば「あるがまま」認知することができるか?

これは哲学や科学の成果として「不可能」であることは分かっています。

とはいえ私たちは生きていかなければなりません。生きていく中で出くわす様々な物事は、あるがまま知った方がより安全であることは間違いありません。「あるがまま」を認知することは「不可能」だからといって、全く「あるがまま」を無視することなどできません。「不可能」ではあっても、いや、「不可能」であるからこそ、様々な方法が試み続けられるべきなのです。

 様々な試みをするときに、私が大切だと思うのが、「やさしくあれるかどうか?」

他人に親切にできるか?とか、弱い立場に立って考えられるか?というようなことではありません。これらは大切なことですが、いつでもどんな場合にでも、は無理です。つまり、ちょっと高度過ぎるのです。

試みは様々であるべきなので、コントロールを最優先に考えるべきではありません。どちらかというと、試しつつも、「絶対はない」と自覚しておいて、タイミングが訪れればいつでも見直せる状態にしておく、という非常に消極的に見える、内心の信条のようなものです。

 「競争がノーマルな状態なのだから競争を否定するのはおかしい」

確かに、「競争」を否定してみせたところで、人はやさしくはなれません。何故なら、言っている本人だって、時と場合によっては「競争」して勝ち抜いたりしてしまうからです。もっと言えば、「負け続けなければならない人」にとっては、それが「競争」であるかどうかなんて全く関心など持っていられないことです。

「競争」という言葉は大きな誤解の素となります。それは、あたかも主体性・自律性を持つ者同士の関係性であるかのように理解されてしまうからです。残酷ですが「勝っている人」のほとんどは無意識です。問われれば「勝因」を述べることはできるでしょうけれど。

自然の状態というのは、現に存在するものと、かつて存在したものがある、ということです。人間はその違いが分かります。分かるがために生存戦略を含む様々なことに有効な手立てを講じられますが、現に存在し続けるものが、存在したけれど今は存在しないものより強く見えてしまう、ということもあります。現にそこにあるだけで意味が乗ってしまうのです。

「あるがまま」を「あるがまま」認知できない私たちは、「それを知っている」で済ませていてはいけないのです。勝手に「自然」を想定し、「常態(ノーマル)」を定義し、だから最善策は「競争だ」と言うのは、文字通り「勝手」過ぎるのです。

誰もが起きたことはそのまま受け入れるより仕方ありません。運命の残酷さというものは、何人たりとも「受け入れていますよ」と宣言することすら許されない程残酷なものなのです。それは内心の信条として保持し続けるより外手立てはないのです。

 自然の状態は全て確率で決まります。確率の分布には偏りがありますから、ほぼ永遠に繰り返し、変わりなく起こることも沢山あります。「常態」と見做しておいてよいことも沢山あります。「よい」というのは科学的分析の文脈で「近似をとることができる」という意味を超えて、「広く多くの人々に便益をもたらすことができる」という意味も持っています。

コントロールできないものを引き受ける、というのは理不尽であるばかりか、逆に悪いウソにもなり得ます。ただ、全てをコントロールできる範囲内に閉じ込めるのも、一見合理的で、謙虚な態度のようで、逆に無責任にもなり得ます。「やさしさ」というのはこうした葛藤を受け入れることなしに手に入れることはできません。

曖昧でない、分かりやすい解答を提示することも必要なことではあります。でも、往々にしてそうしたクリアな答えは、多くの人のため、と言いながら、解答を作った人自身のクリアさへの願望を孕んでいるものです。

何でも楽観的なのがいいとは言いませんが、「運命は受け入れなさい」というようなことは、一人一人の内心の信条に関わることであり、神様でもない以上、人間が人間に対して、諭せるようなことではないのです。いくら証拠を挙げて、理知的に、寛容そうな言葉を使ったとしても。

言えば言うほど、自らの願望が固定化していってしまいます。それほど社会のことが、人間のことが気になるというのなら、そうした自分自身の願望の方を面倒見てあげて欲しいところです。